最強の正統SF後継映画『ブレードランナー2049』を読み解く



ついに昨日(2017/10/27)、日本でもついに公開された『ブレードランナー2049』。30年の時を経た正統続編だけに、その注目度は近年ハードSF界隈でも稀に見るものがあったはずだ。筆者にとって『ブレードランナー』は特別で、人生top5には確実に入る衝撃的な作品。種類の異なるDVD、BDボックスを集め、スピナーも数台所有している。原作も何度も読み、FKDワールドの足がかりとしてその後どっぷり浸かった経験もある。
今回はいちブレランファンとして自分なりの率直な感想をまとめてみた。なお、筆者の妄想が一部混入しているかも知れないがそれはそれで筆者がレプリカントだったという事でスルーしてほしい。

レプリカントとAI

今回特徴的だったのが、「AI」要素の占める割合。本作においてAIとはジョイのことだが、想像以上に作品に食い込む描写がなされていた。露出時間が全く違うので簡単に比較は出来ないが、プリス似の女レプリカントと女AIの差異は際立っていた。またAIとレプリカントの「シンクロ」という、ありそうで全く考えもしなかったアイデアも披露された。こちらは程度の差こそあれど、確実に現実化しそうな「技術」に見えた。
そしてなによりも、本作での人間の登場頻度の低さ。主要メンバーだと上司のマダムとウォレス、受付のオッサンくらいか。


メタな話になれば、レイチェルの「再現」にはド肝を抜かれた。かつてチャンベ版ターミネーターでシュワちゃんがCG復活したが、今回はセリフ付きで顔面ドアップ。渋い演出に、CG技術の確実な進歩を感じる。
 

皆誰かを求めている?

Kはジョイを、警部はKを、ラブはウォレスを、ウォレスは新たなネクサスを、デッカードは娘を、そしてレプリカント達は新たなリーダーを・・
マリエッティもなんとなくKに思いを寄せている風だった。これはプリスのように愛玩用レプリカントのプログラムなのだろうか。しかしジョイは単にプログラムされただけのAI。そこに最大の親しみを感じていたKがもの哀しい。人間にもなれず、レプリカントにもなれず、もしジョイは自我を獲得したのならば、それこそ最も哀しい存在ともいえる。





自己犠牲俳優ライアン・ゴズリング演じる「ブレードランナー」

主人公Kを演じるのはライアン・ゴズリング。『ララランド』で完全にハリウッドの顔になった彼だが、『ブルーバレンタイン』『ドライブ』『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』等で自己犠牲の鬼のような演技を見せている。『ラララ〜』でもある種映画の犠牲となっている。



そして今作、Kは本当に不憫でならないキャラクターになっている。ただでさえ同胞を処刑する人造人間という辛い境遇ながら、ひょっとするとより人間らしい特別な存在だったと思わせられ、しかし結局完全な影武者としての存在だったという現実を突き付けられる。つまりこのレプリカントは夢を観ていただけに過ぎない。しかもそれは与えられた夢ーAIのジョイは「ジョー」という名前をくれ、自分を特別な存在としてくれていた。しかしそれはそう「プログラム」されていただけであってなんら特別なことでは無かった。子供の頃の夢は他人の夢を移植されたに過ぎなかった。アンドロイドは結局電気羊の夢を観ていただけに過ぎなかったのだ。

反乱ネクサス6のリーダー、ロイは長い寿命を求め、ネクサス9のKは現実を求めたのだ。それは実の父であり、 生身のジョイだったのかも知れない。
リック・デッカードとKはブレードランナーという事以外ほぼ繋がりは無い。しかしロイとKはというと、意外と共通項は多いのではと思えてくる。


最初は訝しんでいたデッカードも、全くのアカの他人であるKに救出され、海で彼の身を案じ叫ぶ「ジョー!ジョー!」。

ネクサス9型レプリカント・Kはまさに「GOOD JOE」なのであった。

また前作でタイレル氏はレイチェルの事を特別と語っていた。

名前のKは原作者フィリップKディックのKから来ているのだろうか。

Kにも何か特別な役割があった、そう信じたい。

デ・キリコのような美しい映像

監督はテッド・チャン原作『あなたの人生の物語』が新しいドゥニ・ヴィルヌーヴ。非常に緻密で千住博の滝の絵のような印象の長回しカットを多用する。巨大なスケールの映画なのに静物画の如くじっくりとしたシーンが連続する。これにはただただ圧倒されるのみだ。大型作品が軒並みIMAXの中、シネスコサイズがここまでしっくりくるSFも珍しい。

謎の日本テイストも健在だ。今回は文字だけでなく、機械音声も日本語をしゃべるがそれが明らかに訛っていて関西弁に聞こえてしまうのが可笑しい。関西弁「データ損傷しています」。

今作はより「原作らしい」

前作と比べて、今作のロサンゼルスは明らかに暗い。加えて雪が降るほど寒い。原作にも「死の灰」がフォールアウトする表現があり、また汚染区域などより核汚染が甚大な被害をもたらしているという表現が見られたが、今作でも放射能汚染区域、ゴミ溜め、降雪など印象的にはより小説に近いイメージを提供している。

安定のハンス・ジマー師匠

ヴァンゲリスが今回無かったとは言え、そこはハンス・ジマーの圧倒的な普遍的宇宙サウンドが炸裂していた。ウーファーが軋むレベルの巨大な低音は映画館での観賞が欠かせない。とにかく巨大な映画サウンドだった。しかし極限なのはやはり最後のヴァンゲリス。雪の降る中、「巨星墜つ」な"like tears in rain...time to die"を空耳する事間違いなしである。



結局デッカードはレプリカントだった?

かなり激しいアクションもこなしていたのがハリソン・フォードだ。前作ではネクサス6のレプリカントにただただ圧倒されていたイメージのブレードランナーだったが、今回はより捻くれた頑固おやじで若干親しみやすさを感じるキャラクターになっていた。


結局、前作でデッカードがレプリカントであると明言された事は無かった。しかしその後リドリー・スコットが彼はレプリカントであるということを示唆したりと、一般的には「デッカード=レプリカント」の認識であった。そこで今回。主人公ははじめからレプリカントであることが示されているが、作品が進むに連れ観客は「K=レプリカント」が『K=特別?』という風に誘導されていく。この「人間なのか?レプリカントなのか?」という前作からのファンの疑念を「Kはレプリカントではなく特別な何か?」へと上手く変換した監督の手腕は、純粋に素晴らしいとしか言いようがない。

とは言え、結局デッカードが人間なのかレプリカントなのかは分からず仕舞い。
デッカードはレイチェルの墓に良く行っていたのだろう。黄色い花を手向け、養蜂をする。以前デッカードがレイチェルにvkテストを行った際に、レイチェルは蜂が手を這っていたら殺すと言っていた。心境の変化か?


ほぼ確実に騙される「運命の子」挿げ替え事件

タイレル社の一件以来、本物の記憶をレプリカントに挿入することは禁止されてきた。なのでKは、彼の「夢」を作りものだと信じて疑わなかったのだが、実際はデッカードの娘アンのモノだった訳である。で、何故アンの夢が他のレプリカントに入れられたかというと「身代わり」にするため。記録上、レイチェルは双子を産んで死んだことにし、そしてさらに片方の女の子は死亡させる。残ったのは男の子で、現在も行方不明・・。という目眩まし。実際アンはサンディエゴのゴミ溜めの孤児院で育ち、その後協力者によって記憶操作術を仕込まれ、現在のウォレス社傘下の研究所を隠れ蓑として潜伏。まさに木を隠すなら森の中ということだった。このふわふわ系山ガールのような女性にレプリカントの将来を背負わすことができるのだろうか・・・





「ブレードランナー」に出てくる動物たち

今回の2049でも、希少価値が高く社会的ステータスになりうる「動物たち」が作品に登場した。まずはデッカードが買っていた黒い大きな犬。前作での象徴的な存在だった「ハト」は出てきたか不明。そしてデッカードの蜂。あとはタンパク質としての養殖された線虫くらいか。
ともかく、唯一の自然がみられたシーンが「仮想空間の中」ということからも分かる通り、 とにかく環境は絶望的なまでに頽廃している模様。前作でも「緑」が現れたのは最後の逃避行シーンくらいだった。それくらいにこの世界での自然は貴重なのだ。







 

「ブレードランナー ブラックアウト 2022」



世界のナベシンこと渡辺信一郎氏の監督作品。『アニマトリックス』のセカンドルネサンスを彷彿とさせる内容は超々高クオリティで必見。ネクサス8の特徴も良く分かるよう解説されている。

「2036:ネクサス・ドーン」

ネクサス9とウォレスの異常性が良くわかる短編。


「2048:ノーウェア・トゥ・ラン」

知的になりすぎたバティスタ演じるレプリカントのキャラクターが良くわかる短編。これは作品冒頭にダイレクトに繋がる内容の為、本編の一部と考えても支障はない。ひっそりと生きようとする難民になった戦闘アンドロイドの哀しさが伝わってくる。


実際正直なところ・・・


色々つらつらと書き連ねたが、とにかく笑いが止まらなかった。
レイチェルが出て来るところなんて引っ張って引っ張って案の定、やはり出てきて「名前はレイチェル!レイチェルだ!」と興奮を抑えるのが必死。肩パットの影が出てきたシーンでここまで最高にテンション上がった経験は今まで無かった。相変わらずすげえ髪型してるなレイチェル。とても懐かしい同窓会に参加していた気分だった。

ホテルのバーにボトルの山があったので「あーこれジョニーウォーカーくるな。。。」そして「飲むか」の流れでジョニーウォーカーを確信。わざとにも程が有るほどバッチリ背景に映り込むジョニーウォーカーモデル2049。勿論筆者はアマゾンで予約した。2049年に開栓するのが人生の目的に追加された瞬間だった。

そしてこれにももう爆笑。その他にも老人ホームのガフ、ご丁寧に折り紙つきで相変わらず謎の言語を喋る。これも最高。「ガフじゃん!!」と叫びそうになるくらいにガフ。また細かい芸も冴える。木馬のおもちゃ調査を依頼しているシーンは「蛇の鱗」シーンまんま。そういえば眼球ネタもリスペクトしていました。というか冒頭の処刑シーンの壁ぶち破りもオマージュか。レプリカントは壁をぶち破る。

ドゥニ・ヴィルヌーヴという最高の映像表現監督を使った最高の『ブレードランナー』ファンムービー、それがこの『2049』と言えるのかもしれない。



※2017/11/03追記

ウォレスの目的

度々彼が自社のレプリカントに対して放つ言葉、「天使」。様々な宗教の聖典から文言を引用し、ネクサス9のレプリカントに刷り込む様はまるで教祖のようだ。他方、ネクサス6のレプリカントを「悪い天使」といったりするあたり、新世界の神になろうとしているのは明白である。

タイレル社製のネクサス8は結果的には組織することを覚え、自分たちの運命を自分たちで切り拓こうとする人間的な側面を持つ一方、ウォレス社製のネクサス9は人間の命令に従順であり、命令さえあれば自らの命も躊躇なく差し出す。 Kの上司マダムも、ネクサス9の従順さには全幅の信頼を置いているような素振りを見せていた。

感情が溢れ出てしまうレプリカント・ラヴ

ネクサス9の中でも特にウォレスに重用されている様子のラブ。通常レプリカントは名前は無いが、ウォレスから直接名付けられるなど特別なレプリカントであるのは確実だ。レプリカントや人間が死ぬのに際し、涙を流したりと今までのレプリカントでも一段と感情豊かなキャラクターとして描かれている。生命に対する共感性が高められている事が、一種の安全装置になっているのかもしれない。最後、海中に沈められもがき苦しむ彼女の姿はもはや人間のそれにしか見えなかった。
一方、ネクサス9とされるKも最終的には「大義のために死ぬ」 というより人間らしい選択をした。


 「魂」の問題

今回、ウォレスはデッカードのためにほぼ完全に同一のレイチェルを生み出した。しかし目の色が違うなど以上に、デッカードにとってそれは受け入れ難いものであった。 デッカードにとってレイチェルは、2019年のレイチェルなのである。
他方、Kにとってジョイはデッカードの居場所まで共に旅したジョイなのであって、その喪失感はデータのバックアップをとらずにコピーしたことからも想像できる。大量生産品でも、またそれを使うのが魂を持たないレプリカントであったとしても、「個」は唯一無二なのである。

冒頭、ドラッグスにKは「お前は奇跡を観たことが無い」と言われる。奇跡を見ることがレプリカントから人間に近づくことなのだろうか。
終盤、ジョイを破壊され満身創痍のKは「ジョイ」 の巨大ホロ広告を見る。それはマス向けの中身の無いジョイだった。Kのジョイは、Kを理解し、お互いに信頼関係が成り立っていると言えるもので、仮にそれがジョイのプログラムであったとしても、Kにとってはマス向け広告ジョイとKのジョイが明らかに違うことを思い出させ、その関係はもはや奇跡であったのでは、と自覚させたのかもしれない。つまりAIとレプリカントという偽物から、本物の信頼が生まれたということが奇跡なのだと。
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